今まで自分の考えなど一度もしたことがない私たち
あなたは今までの人生の中で自分の考えをしたことが一度でもありますか?
私は今日、改めて自分は今までの人生で自分の考えなど一度もしたことがないということに気がつきました。今まで自分の考えだと思っていた、そのどれもが今までの誰かが考えついたものをただ暗記して、それをさも分かっているかのようなフリをしてただ生きてきただけなんだと改めて気付きました。私たちの周りにいるそのほとんどの人間が皆ただ分かっているフリをしているに過ぎません。
この世界に人間が本当に「知る」ことができることはただの一個もありません。本当にただの一個もないんです。
なぜならば、人間ができることといえばこの現実の世界に境界線を引っ張って、「これは人間」「これはコップ」「これは男」「これは女」とただそれなりに共通項のあるものをまとめて総称しているに過ぎないからです。改めて「人間とは何ですか?」「男とは何ですか?」「女とは何ですか?」と聞かれると明確に答えられる人はいません。私たちの今までの暗記・学術教育での知識というのはその程度でしかありません。
私たちの脳というのはこの世界をありのままに見ることができないように初期設定されています。今も我々の目には見えない紫外線や赤外線や電波、超音波など人間の感覚器官では捕らえることができないものがたくさんあります。
それなのに私たち人間はその限られたほんの一部の情報を頼りにして「これは正しい」「これは正しくない」「これは意味がある」「これは意味がない」と自分だけの判断基準を育てていきます。年を重ねるれば重ねるほどその判断基準は固く頑固になっていき自分に対しても◯✖️して鬱になったり、他人に対しても◯✖️をして関係性が築けなかったりして、情報知識が増えれば増えるほど、知ってる世界が増えれば増えるほど、人にも自分にも厳しくなっていっているのが、現代の情報社会に生きる我々の本当の姿ではないでしょうか?
今まで人類歴史の中で、その時代を正しく診断してその解決策を正確に処方できた人間はいたでしょうか?そういう人間が今までにいたとすれば今頃こんなにも混沌とした時代にはなっていないでしょう。
人類歴史の中でなぜこれほどまでに混沌とし、争いや戦争、鬱、精神疾患、社会問題、環境問題など多様な問題が解決できてこなかったのか?
それに明確に答えられた人間が今までの歴史の中でひとりでもいたでしょうか?
その多様に見える様々な問題は実はたった一つの究極の問題が姿・形を変えて現れているに過ぎません。人類歴史の中でこのたったひとつの究極の問題にまで到達できた人間は歴史上誰一人としていませんでした。
それを世界で初めて発見したのが観術創始者であるNoh Jesuです。
彼は人類が今まで争いや戦争を止めることができなかった究極の問題を「観点の問題」であることを発見し、そこから人間が本当に知ることができることは何ひとつとしてないということ「無知の完全性」までをイメージ言語という道具を使って今までの暗記言語では説明不可能だった世界まで案内することを世界で初めて可能にした人でもあります。
彼はこのイメージ言語を使えば世界72億人の誰もが明確に悟ることができると言い切っています。
そんなイメージ言語がどんなものなのか?ご興味がある方は各種セミナー用意してありますので覗いてみてくださいね。
NR JAPAN